春一番が吹いたというのに、この寒さ…。
今シーズンはもうお蔵入りかと思ってたロシア帽が大活躍☆
ヤ/フ/ー ニュースでこんな記事を見つけました。
「目には目を」
携帯からご覧の方の為に概要を説明しておきます。
2004年イラン。
ある女性へのストーカー行為を繰り返した挙句、女性の顔に酸をかけて失明させた男がいました。
男は捕まってからも「愛していたからやった」と反省の色をまったく見せていません。
イランの法律で、被害者は加害者に賠償金の請求権が認められているのですが、女性は賠償金ではなく、加害者の男が自分と同じ目(つまり酸をかけて失明させる)にあわせる刑を受けるよう要求しました。
裁判所がその要求を認めたので、もうすぐ刑が執行されるそうです。
何というハムラビ法典…!
日本では絶対にあり得ない事ですね。
残酷すぎると一部の人権団体が抗議しているようですが、この男がしでかした事こそ残酷すぎるのでは?とか思ってしまいます。自業自得ってこういう事かも。
目に見える部分だけでも、被害者と同じだけの傷を負わせる。
極めて分かりやすい刑だとは思います。
そもそも何で国が裁判をやるかって、『公平な目で見て被害者と加害者の損害を同等にする事により、行き過ぎた報復のやりとりを繰り返さない』為の筈です。
身勝手な動機による犯行なら、これぐらいやって然るべきだとも思います。
ただ「刑罰」である以上、コレを執行する誰かが居る訳ですよね?
(イランの法律よく知らんので、ひょっとしたら被害者が執行するのやも知れませんけれど。)
死刑でもそうですけど、執行人の立場で考えると、物凄く嫌な気分になります。
たとえどんなに残虐非道な事件を起こした人間でも、自分が
何の恨みも持っていない相手を傷付けるなんて、管理人は
絶対御免です。
全力で拒否します。
喜んで執行するような人、何ら躊躇せずに執行できる人がいても、それはそれで問題ですし…。
いっそ被害者(もしくはその家族)が執行人になってしまえば良いのかも知れませんけれど、それでは私的復讐の容認になりかねません。
難しいところですねぇ。
とりあえず、今の日本の量刑基準は『被害者と加害者の損害を同等に』しちゃ
いないと主張しておきます。
どんなに残虐な方法で殺したにせよ、一人を殺しただけでは死刑にならない。
更に加害者の生い立ちやら、犯行時の精神状態やらが加味され、情状酌量の余地が認められる。
どうしてこんな慣例が築かれてしまったのでしょう?
釈然としません。
ところで、
イランの人が日本の裁判記録見たらどう思うんでしょうね?
ものすごーく気になりますww